寝ても醒めても

まだ本調子じゃない

ちょっとずつ調子でてきた

 木曜の仕事終わりから腹部に違和感を抱えていたが帰宅後からその違和感は腹部に潜む巨大な空気の塊というか虚無の塊のようになって、食欲不振に戸惑いながらもいざ就寝しようと灯りを消し寝台に潜り込んで目を閉じた数秒後に上位の世界から下位の世界へ駆け抜ける天啓の如くお達し――便意――が閃き、脱兎の如く厠へ駆け込み、下から下し、腸の内容物すべてが排泄されるまで滝か夕立か台風かといった物音が続いた。一つ区切りがつき、これで食欲不振と腹部の違和感の原因が去ったのだと楽観しながら、汚物が更なる下々の世界へ旅立つ様を見送っていると、今度は俺の番だとばかり胃袋から駆け上がるものが、その強靱な上昇志向に反して下々の世界へと怒濤の勢いで飛び降りてゆく。滝、夕立、台風、再び。「吐瀉物」この三文字は文字というより眼下の光景を見たまま絵にしたかのように思えてならない。それは無理矢理喉に通したみそ汁の死骸、これが天の恵みに対する仕打ちかと恨めしそうにこちらを睨め付けてくる南京の憎悪、無惨に打ち砕かれた白米の哀れ。
 だがこれでけりがついたのではないか。楽観がなくては人生という道など歩けはしない。再び就寝。走る稲妻。飛び起きる男が一人、廊下を走りけり。やれ、けりをつけてもけりはつかない。僕の腹の中には官僚がいる。天下りをあてにしている。これはおもしろくない(いろんな意味で)。老害を下々の世界へ追放した後、社会の悪循環が続かぬようにと祈りを込めて正露丸を呑む。寝台に身を横たえる。再び駆け上がるものありけり。駆け上がれfighter like a KOIKING ……恋のように甘酸っぱい……いや単に酸っぱい……だが恋のように心地よい……わけでもない。厠の戸は開いているが、間に合わない。両手の平で嘔吐物を一旦受け止め、こぼれ落ちる前に便器の上まで間に合わせる――こんにちは正露丸、また会ったね――嘔吐。人は誰からも学ばず、吐くことができる。その機能はオートマティック。下痢もまたオートマティック。便座に腰をかけ、上下同時攻撃が来たならどう対応すればいいか思案する。答えは出ない。思考は容易く移りゆく。すべてはオートマティック。
 サルトルの著『嘔吐』を読んでいた頃を思い出した。僕は主人公がいつ吐くか、待ちわびた。主人公はついにマロニエの木の下で、ついに、ついに――吐かなかった。「嘔吐」には「吐瀉物」の意味はない。吐かない。「吐き気」までである。僕はさっき「嘔吐物」という言葉を使ったが、これは私製語である。以来、あたかも辞書に載っているかのように使っているが、指摘されたことはまだない。
 サルトルの著は難しすぎた。僕にとっての収穫はこれっぽっちだったのだ。何もかもがこの手をすり抜けてゆく。吐瀉物はまとわりついているが。
 話を戻そう。あとは繰り返しである。肛門は常時開放型の斬魄刀であり、始解の呪文を必要としていない。才能と克己心のあるものだけが卍解に至れると伝え聞くが、今以上の状態など想像もできない僕には縁のない話であろう。
 一時間ほど眠り、便意で目覚め、流出が先か、便座に座るのが先か、ウサギとカメの壮絶なデッドヒート。このウサギは怠け者ではなく、怠ける振りをしてカメを油断させる曲者である。片やカメも足の遅いふりをしているが健脚を隠し持っている。どちらが僕か。どちらも僕ではない。上から来るのがウサギで、下から来るのがカメである。僕はいつも一歩遅れてスタートしているタヌキである。しかも他人を化かすことができず、いつも化かされて泡を食っているタヌキである。もっとも、泡を喰っているというよりは吐いているのだが。
 そういう事情で十分な睡眠が取れず、寝坊したとしても、それはむべなるかなといったところだ。熱がある、吐き気がする、意識が朦朧として天井が回転している。市民病院へ一方を入れて緊急外来として訪れることにし、帰宅した弟に車を回させ、どうにか病院へ。診断結果は感染性腸炎、ひらたくいうと食中毒、ノロにやられたのかなー。
 
 ――というストーリーをでっちあげ、会社へと体調不良の電話を入れた。
 金曜日の夜勤勤務、車で通勤しようとすると、どういうわけか渋滞で遅刻確定だったので――連休に入る前の花の金曜日だからかな――遅刻するぐらいなら、もう休んでしまえ、と。普段は始業二十五分前にタイムカードを押しているのだが、十分遅刻した段階でまだあと二十分かかりそうな混み具合だったし。どうせ仕事ないし。そのくせ来週は休日出勤を強要されるはずだし。土曜日に誘われていた食事会もキャンセルできるし一石二鳥だ。
 
 え、仮病じゃないよ? 会社に行きたくない病だよ。